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五座相殿社 大阪市・西淀川区

訪問日:2009年6月上旬



場所:大阪市西淀川区野里1-15-12  地図はこちら

交通:JR東海道本線・塚本駅下車。南西へ700m。

住吉神社の境内社として鎮座



拝殿

鳥居

天満の文字


住吉神社

拝殿

手水舎

本殿

社務所


住吉神社の由緒


永徳二年(1382年)足利三代将軍義満の創建と伝え
られている野里住吉神社の境内の片隅にある『瀧の池』
の跡地に乙女塚が建てられている。それには悲しい物語りが伝えられている。
中津川に面した昔の野里は、打ち続く風水害と悪疫の流
行によって悲惨な明け暮れで、近隣の村人たちは野里のこと
を『泣き村』と呼んでいた。
この村を救う為には、毎年定まった日に一人の子女を神
に捧げよとの託宣があり、村を救う一念から村人の総意でこれを實行していた。
人身御供の子女は毎年一月二十日丑三ツ時に唐櫃に入れ
られて神社に運ばれ放置された。
丁度七年目の行事を準備している時、一人の武士が立寄
り、村人からことの詳細を聞き、『神は人を救うもので人間
を犠牲にすることは神の思し召しではない』と乙女の身が
わりに唐櫃に自ら入って神社に運ばれた。
翌朝、そこには武士の姿はなく、大きな『狒々』が深手
を負い絶命していた。この武士こそ当時、武者修行中の
岩見重太郎であると伝えられている。村ではこの後安泰
の日々を送るようになった。これを後世に長く伝へるた
め、同じ形式で同じ一月二十日に村の災厄除けの祭をし
て他に例を見ない奇祭が行われ、今日に至ったものである。
明治四十年より二月二十日に改められた。
この一夜官女の祭は昭和四十七年三月三十一日付で
大阪府文化財保護委員会より重要民族資料として指定されている。
この地は古戦場としても有名であり、享禄四年六月四日、
細川常植と細川晴元が中津川で戦った時、常植方の本陣が当社であったという。
現在の野里本通が旧中津川の右岸に当り、摂津の大物崩という戦がこれである。」

〜境内の能書より〜


住吉神社の摂社・末社

月頼稲荷神社

勝雄木稲荷神社

事平神社

源次郎稲荷神社

淀川戎神社


野里の渡し


一八八九(明治二二)年からの改修工事によって、淀川は流路が大きく変
わりました。それまで野里住吉神社の東側は淀川に面していました。現在
境内の南側に残る土手は、当時の堤防のなごりです。
野里の渡しは、大阪と尼崎を結ぶ大和田街道に設けられた渡しで、野里
住吉神社のやや北側にありました。一八七六(明治九)年に木製の橋が架け
られるまでは、大阪と中国地方を結ぶ交通の要所として賑わっていました。
一説には、室町時代に野里村が開発された時に、代官の堀江彦左衛門に
よってつくられたといわれています。
また、江戸時代の地誌である『摂津志』・『摂津名所図会』には、『日本書
紀』に見える『かしわの渡し』が、野里の渡しであると記されています。




そのほかの住吉神社の風景

狛犬(左側)

狛犬(右側)

鳥居

石標

東側の鳥居

百度石

太鼓橋

注連柱


力石

山車庫