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道明寺天満宮 大阪・藤井寺市

訪問日:2007年12月下旬
再訪日:2008年11月上旬



場所:大阪府藤井寺市道明寺1-16-40  地図はこちら

交通:近鉄南大阪線・道明寺駅下車。西へ徒歩で2〜3分。

公式HPはこちら

社務所受付時間:午前9時〜午後4時半

菅公聖蹟二十五拝・第八番



本殿

手水舎

神門

注連柱

看板

商店街


道明寺天満宮の由緒



この道明寺には、道真公のおば様であります覚寿尼公がお住まいになられていました。
その覚寿尼公のおいにあたられます道真公は、幼少の頃から和魂漢才の人といわれ、
5才にして和歌を詠まれ、11才にして漢詩を作られました。そして、40才の4月より7月まで
当地にご滞在され、夏水井《げすいのい》の水を汲み青白磁円硯《せいはくじえんけん》により、
五部の大乗経を写されました。その経塚から、胚芽が経巻の形をした「もくげんじゅ」が生え、
謡曲「道明寺」にも有名になりました。
また、宇多上皇の大和河内御巡幸の際にも、当地にお伴され、「雨中錦を衣て故郷に帰る」と、
漢詩に詠まれたことからも、公はこの地を第二の故郷として慕われていました。

やがて57才にして従二位右大臣に進まれましたが、無実の罪で九州大宰権帥《だざいのごんのそち》
として淀川を下られる舟の中でも、

世につれて浪速入江もにごるなり 道明らけき寺ぞこひしき

と詠まれ、道明寺の訪問を許されました。そして、この道明寺で覚寿尼公との別れを惜しまれ、
八葉鏡にお姿を映されて犀角柄刀子《さいかくえとうず》で自像を荒木に刻まれ、

鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もがな

との御歌を残されて西海に赴かれました。この歌から、道明寺に住む者は鶏を飼わないという信仰が続いています。

公は無実の罪であっても、ひたすら謹慎のまことを尽くされましたが、延喜3(903)年2月25日に59才で亡くなられました。
その後天暦元(947)年に残し置かれた木像を北丘にお祀りし、ご遺品をご神宝として安置し、土師寺を道明寺と改称、
延慶3(1310)年には西琳寺の僧鑁阿《ばんあ》に神託があり八葉鏡に勅封を賜わりました。

〜公式HPより〜


道明寺天満宮内の小社・摂社・末社

和合稲荷社

白光社

八嶋社

霊符社

白太夫社

土師社

不詳


さざれ石



君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで

国歌に歌われているさざれ石です。
この石は白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。悠久の歳月の間に多くの小石が
寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大典記念として移されたものです。

〜公式HPより〜


さざれ石


修羅


昭和53(1978)年4月、当宮氏地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土しました。
修羅《しゅら》とは、古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリのことです。
当地は道真公の先祖土師《はじ》氏の領地であり、この修羅を使った土木技術も土師一族のものであったろうと思われます。

この修羅は「復元修羅」で、実験考古学の試みとして製作されたものです。大きいほうは約8.8mメートルあり、
小さいほうは約2.8メートルあります。現物は、大阪府立近つ飛鳥博物館に大が、藤井寺市立図書館に小が保存されております。
平成18年6月9日に大小の修羅とてこ棒が重要文化財に指定されました。

〜公式HPより〜


修羅

そのほかの道明寺天満宮の風景

座牛と狛犬は数が多いため、別ページにまとめました。  別ページはこちら


宝物殿

小林一茶句碑

案内図


梅園

参道から


神額

額束

灯籠

灯籠

大成殿

筆塚

石標

石標

百度石

初訪時撮影